無原罪の御宿り エル・グレコ

マニエリスムの傾向が色濃く表れたエル・グレコ晩年の傑作

エル・グレコの作風(芸術動向)は、マニエリスム(Mannerism)と呼ばれるルネサンス後期の美術傾向によっていた。曲がりくねり、引き伸ばされた人体表現が多用され、ミケランジェロによる壁画「最後の審判」やシスティーナ礼拝堂の天井画の一部にもこの傾向が見られる。

エル・グレコ晩年の作品「無原罪の御宿り(お宿り)」でも、このマニエリスムの傾向が色濃く表れており、縦長のキャンバスに聖母マリアが天を仰ぎ今まさに高く昇っていく様子が、左右にうねるような誇張表現で描かれている。

エル・グレコ「無原罪の御宿り(お宿り)」 1607-13
カンヴァス・油彩 347cm × 174cm サンタ・クルス美術館蔵

天上には、聖霊による懐胎を象徴する白いハトが描かれ、聖母マリアは天の愛情を表す赤い色の衣服に青い腰布を纏っている。周囲には、他のエル・グレコ作品(プラド美術館蔵「受胎告知」など)でも見られる天上のオーケストラが配置され、神と聖母マリアへの賛美を高らかに奏でている。

最下部のトゲのない赤いバラと白い百合の花は、聖母マリアのアトリビュートとして知られ、それぞれ母性と純潔を象徴している。キリスト教の宗教画には、聖母マリアの処女性を表す「閉じた園」の「生命の木」に、5枚の花弁を持つリンゴとバラが一緒に描かれることがある。

エル・グレコ美学の結晶

「カンヴァス世界の大画家12 エル・グレコ」(中央公論社)の作品解説によれば、執筆者の神吉敬三氏は、エル・グレコ「無原罪の御宿り」について、「エル・グレコ美学の結晶ともいえる作品」と述べた上で次のように評論している。

「この図像の要素のすべてが…さまざまな光源に由来する光を受けて揺れ動く色の炎と化し、天と地を結ぶ巨大な竜巻状の螺旋構図のなかで、マリア賛歌を奏でている。エル・グレコの美学が、このきわめてカトリック的でしかもスペイン的な主題において最高潮に達しているのは、単なる偶然ではないだろう。」

もうひとつのエル・グレコ「無原罪の御宿り」

上述の「無原罪の御宿り」はエル・グレコ晩年の作品だが、実はエル・グレコは同じ主題の作品を40歳前後の頃に製作している。2作品ともサンタ・クルス美術館蔵で、縦の寸法が晩年の作品より1メートル以上小さい。

エル・グレコ「無原罪の御宿り」 1580-85
カンヴァス・油彩 236cm × 118cm サンタ・クルス美術館蔵

エル・グレコがトレド(トレード)に移り住み、「聖衣剥奪」や「聖マウリティウスの殉教」を完成させた頃の作品で、晩年の「無原罪の御宿り」と同様に、天上のオーケストラが聖母マリアの脇を固めている。

左下の男性は、「ヨハネの黙示録」で知られる福音記者ヨハネ。本図はヨハネによる幻視として描かれ、聖母マリアの視線の先はヨハネに向けられている。

聖母マリアのアトリビュート

中央公論社「カンヴァス世界の大画家 12 エル・グレコ」の作品解説によれば、聖母マリアの純潔や母性を象徴するために約束事として描かれるアトリビュートについて、次のように説明されている。

「無原罪のお宿り、つまり、男の介入なしに聖母マリアが母アンナの体内に宿ったという信仰を図示することはむずかしい。そこで、旧約の雅歌やヨハネの黙示録に用いられた象徴をアトリビュートとして使い、若い女が天から下る姿を描くことによって、この主題を表現したのである。

・・・ヨハネの左手に近いダビデの塔をはじめ、閉じられた門、太陽と月、とざされた庭、レバノン杉、とげのないバラのなどのアトリビュートが書きこまれている。」

なお、同解説によれば、先に製作されたエル・グレコ「無原罪の御宿り」は、1948年に大幅に手が加えられてしまっているという。それでもなお、この作品の重要性については、「エル・グレコ晩年の傑作である同主題画に発展していくことを考えれば、図像的にいって貴重な作品である。」と説明されている。

他の画家による同主題の作品も

「無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり)」、または「無原罪のお宿り」と題された絵画・宗教画は、エル・グレコ以外の画家による作品も多数残されており、バロック期のスペインの画家バルトロメ・エステバン・ムリーリョやディエゴ・ベラスケスらによる作品が有名だが、エル・グレコの作品は「聖母被昇天」の要素も併せ持った内容となっている。

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