ピカソは1904年春頃からパリのモンマルトルに借りたアトリエ「洗濯船」を活動の拠点としていた。パリに出て恋人フェルナンド・オリヴィエを得たことで、1905年以降は「ばら色の時代(Rose Period)」と呼ばれる明るい色調の作風が中心となっていた。
1907年夏頃にパリで完成された油彩画「アヴィニョンの娘たち(アビニヨンの娘たち) Les Demoiselles d'Avignon」は、ばら色の時代の明るい雰囲気を受け継ぎつつ、伝統的な西洋画のセオリーを否定し後にキュビズムとして発展していく原点的な作品となった。
描かれている人物は、バルセロナのアビニョ通り(carrer d'Avinyó)に存在した売春宿で働く女たち。1916年に最初に展示されたときは「アビニヨンの売春宿 Le Bordel d'Avignon」と題されていた。
しかし、絵だけを見ても当時のモラル的に難があったのに、タイトルまで遠慮のないあからさまな内容では不必要に大衆を刺激しすぎるということで、美術評論家アンドレ・サルモン(André Salmon)の助言により題名は現在のものに変更されたという。
ちなみに、日本でも有名な童謡『アヴィニョンの橋の上で』で歌われるのは、言うまでもなくバルセロナの通りの名前ではなく、フランスの南東部に位置する都市アヴィニョン(Avignon)を指している。歌われている橋はサン・ベネゼ橋(Pont St. Bénézet)。
ピカソが影響を受けた作品は?
ピカソの絵画「アビニヨンの娘たち」に描かれる女性らの表情は、アフリカ部族のマスクや古代イベリア彫刻、オセアニア美術などの影響を受けているという。ピカソ自身はこれらの影響を否定しているというが、多くの美術研究家はこの否定に対して懐疑的なようだ。
また、同作品との類似性が指摘される他の芸術家による美術作品としては、セザンヌの絵画「
水浴 Les Grandes Baigneuses / The Bathers」、ポール・ゴーギャンの彫刻「Oviri オヴィリ(タヒチ語で野蛮人の意)」、エル・グレコの絵画「第五の封印 The Fifth Seal」、アンリ・マティス「生きる喜び Le Bonheur de vivre」などがよく引き合いに出される。