ネコと宗教画、しかも新約聖書の物語「受胎告知」と猫という一見何の関係性もないように思われる組み合わせだが、このピンポイントな視点で絵画作品を見ていくと、意外に興味深い発見に巡り合える。
このページでは、さりげなく猫が登場する宗教画「受胎告知」作品について、特にネコ周辺の描写に着目して若干の解説を試みたい。
なお、「受胎告知」の前後のストーリーについては、こちらの特集「聖書と絵画・名画 有名な物語の解説」を適宜参照されたい。
フェデリコ・バロッチ「受胎告知」と猫
まずは、16世紀イタリアの画家フェデリコ・バロッチ（Federico Barocci/1526-1612）による宗教画「受胎告知」から見ていこう。フェデリコ・バロッチの作品はヴェネツィア派の流れをくむ豊かで明瞭な色彩を特徴とし、バロック様式の先駆的存在としてルーベンスにも影響を与えた。
フェデリコ・バロッチ「受胎告知」には、ご覧のとおり左下の隅で丸くなって眠る可愛いネコが描かれている。天使ガブリエルから突然のお告げを受けて驚く聖母マリアをよそに、我関せずとばかりにすやすやと熟睡する様子は、猫ながらなかなかの大物感と存在感を見せつけている。
ルーベンス「受胎告知」とネコ
続いて、ルーベンス「受胎告知」に登場する猫をご紹介。ルーベンスは何点かの「受胎告知」作品を残しているが、そのうちネコが登場するのはアントワープ（アントウェルペン）のルーベンスハイス（ルーベンスの家）美術館に所蔵されている作品。
天上から降臨した天使ガブリエルと、とまどいを隠せない聖母マリア。そしてその足元には、聖書の重要な場面の中で、泰然自若とした一匹のネコが丸くなって寝息を立てている。
ロレンツォ・ロット「受胎告知」と猫
最後は、ルネサンス期イタリアの画家ロレンツォ・ロット（Lorenzo Lotto/1480-1556）による宗教画「受胎告知」とネコ。
ヴェネツィア派の豊かな色彩が目を引くが、その若干異質な構図や、天使ガブリエルに背を向け逃げ出すような描写と奥行き感は、他の画家による様々な「受胎告知」作品と比べても独特の雰囲気を醸し出している。
さて、肝心の猫についてだが、キャンバスの隅に追いやられていたフェデリコ・バロッチとルーベンスの作品とは異なり、キャンバス下半分の中央、聖母マリアと天使ガブリエルの間に挟まれるようなポジションで、非常に大きな存在感を放っている。猫好きな人なら、左右にいる主役の二人よりも、まず真っ先に中央のネコが目に飛び込んでくるだろう。
拡大してみると、突然現れた天使ガブリエルに警戒して、ネコがこの場から離れようと駆け出している様子がよく分かる。宙に浮いた前足により移動中の猫の躍動感が表現されている。
ネコの視線は天使ガブリエルの方向に向けられ、驚いて遠ざかりつつもしっかりと出来事の一部始終を目撃しているようだ。フェデリコ・バロッチとルーベンスの猫はどちらも聖母マリアの足元に描かれていることから、このネコもやがて聖母マリアの下へ駆け寄ろうとしているのかもしれない。
受胎告知とネコの関係は？
フェデリコ・バロッチ、ルーベンス、そしてロレンツォ・ロットの3人による宗教画「受胎告知」をご覧いただいたが、これらの作品に共通して描かれるネコは、いったい受胎告知とどのような関係があるのだろうか？
残念ながら、ネコと受胎告知の関係をはっきりと説明できる文献にはまだ巡り合えていないが、ネットで検索してみたところ、こんな記述が見られた。
「古い伝説によれば、キリストがこの世に現れた夜、一匹の雌猫も子猫を出産した言い伝えがあり聖母マリアの象徴になることもあります」
この「言い伝え」の出典・文献は明らかではないが、これが本当だとしたら、受胎告知に登場するネコは聖母マリアのアトリビュート的な存在として描かれていたことになる。
確かに、フェデリコ・バロッチとルーベンスの作品では、ネコは聖母マリアの足元に描かれており、ネコと聖母マリアの結びつきを暗示しているようにも見える。
宗教画とネコ、一見関係がなさそうで、実は意外と深い関係がありそうな二つのキーワード。聖母マリアの伝説・物語にご興味のある方は、是非ネコとの関係についても調べを進めてみてほしい。きっと何らかの新たな発見に出会えるはずだ。
関連：猫のいない受胎告知作品
このページだけを見ると、宗教画「受胎告知」には必ずネコが描かれるような印象を受けるが、むしろメジャーな作品ではネコが登場しないケースの方が一般的と思われる。
参考までに、猫の登場しない他の画家による「受胎告知」作品を列挙しておくので、「ネコがいない！」と寂しがらずに、歴史・格式ある宗教画としてこの機会にじっくりと鑑賞してみて欲しい。
- レオナルド・ダ・ヴィンチ「受胎告知」
- 東京国立博物館でも実物が展示されたダヴィンチのデビュー作
- エル・グレコ「受胎告知」
- 倉敷市の大原美術館にこの作品が所蔵されていることは奇跡？
- ルーベンス「受胎告知」
- ネコが描かれた作品とネコがいない作品
- ムリーリョ、ボッティチェッリ「受胎告知」ほか
- 新約聖書の物語・ストーリーと合わせて