レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ (Leonardo da Vinci/1452-1519) は、。『最後の晩餐』、『モナ・リザ』などの精巧な絵画で知られるルネサンス期イタリアの巨匠。
絵画のみならず、彫刻、建築、土木、科学、数学、工学、天文学など種々の技術に通じ、極めて広い分野に足跡を残した万能の天才。
ダ・ヴィンチの生い立ち
レオナルドは1452年、イタリアのアンキアーノ村で生まれた。5歳からすぐ隣のヴィンチ村に移り住んだ。
ヴィンチ家は13世紀より続くヴィンチ村では名の通った血筋で、父セル・ピエロ・ダ・ヴィンチは公証人を務め、家は裕福であった。
母カテリーナ (Caterina) は農民あるいは木こりの娘といわれ、詳細は分かっていないが、ヴィンチ家に頻繁に出入りしていたとされる。
幼少期の彼は、原因は不明だが正当な教育を受けず、自然とともに暮らしていた。当時から左手で鏡文字を書いたと言われるが、これは彼が読み書きの教育を受けなかったためともされる。
フィレンツェでヴェロッキオに弟子入り
15歳前後でフィレンツェに移り、画家見習いとしてアンドレア・デル・ヴェロッキオの工房に弟子入りし、ボッティチェッリらと共に学んだ。
この工房でヴェロッキオの絵画『キリストの洗礼』の一部を描いたが、その出来は師匠ヴェロッキオを驚愕させ、以後ヴェロッキオは一切筆をもたなくなったという逸話がある。
レオナルドに嫉妬したという説もあるが、工房の絵画部門は彼に任せて本業である彫刻に専念した、というのが真相らしい。
1482年から1499年にかけて、レオナルドはミラノ公イル・モーロに仕えながら、自分の工房を開いて独立。その後はミラノ、フィレンツェ、ローマ等を転々としながら活動を続けた。
1516年からは、フランソワ1世の庇護を受け、フランソワ1世が幼少期を過ごしたクルーの館(クロ・リュッセ)に招かれ、年金を受けて余生を過ごした。
レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な作品
モナ・リザ La Gioconda
レオナルドは1503年にこの絵を描き始め、3年かおそらく4年後まで筆を入れた。 モナ・リザのモデルが誰であったのかはわかっていない。
岩窟の聖母 がんくつのせいぼ
同じ図柄の作品が織りなすミステリー 謎多きダヴィンチの宗教画
聖アンナと聖母子
母から娘へ 娘から子へ 時代を超えて受け継がれる神の教え
受胎告知 じゅたいこくち
若き日のダヴィンチによる事実上のデビュー作
最後の晩餐 さいごのばんさん
ダ・ヴィンチのパトロンであったルドヴィーコ・スフォルツァ公の要望で描かれた絵画。