マグダラのマリア Mary Magdalene

一人歩きした「罪深き女」のイメージ

小説・映画「ダヴィンチ・コード」でも大きく取り上げられ、日本でもその名を広めたキリスト教の聖女マグダラのマリア(マリヤ・マグダレナ)。フランス語では「マリー・マドレーヌ Marie Madeleine」、英語では 「メアリ・マグダレーン Mary Magdalene」。

西洋絵画においては、悔い改めた「罪深き女」として描かれた作品が多いが、実は聖書に登場するマグダラのマリアの人物像は大きく異なっている。

「悔悛するマグダラのマリア」 グイド・レーニ(Guido Reni) 1635 ウォルターズ美術館

濡れ衣を着せられたマグダラのマリア

マグダラのマリアについての記述は複数の福音書に見られ、取り上げられた場面はそれぞれ微妙に異なるものの、彼女を明示的に罪深き女とする記述は見当たらない。

では、なぜマグダラのマリアにこのようなイメージが定着したのだろうか?

結論から言えば、彼女は「濡れ衣を着せられてしまった」のだが、本稿では、まず順を追って聖書の記述を確認していくことで、その具体的な経緯を簡単に説明していくこととしたい。

名前が明確に記された聖書の記述

マグダラのマリア

最初に、福音書のうち「マグダラのマリア(マリヤ)」の名前が明示的に記述された部分をいくつか抜粋してご紹介しよう。

マグダラと呼ばれるマリア

そののちイエスは、神の国の福音を説きまた伝えながら、町々村々を巡回し続けられたが、十二弟子もお供をした。

また悪霊を追い出され病気をいやされた数名の婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出してもらったマグダラと呼ばれるマリア、ヘロデの家令クーザの妻ヨハンナ、スザンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒にいて、自分たちの持ち物をもって一行に奉仕した。

<ルカによる福音書8章1-3節より>

右挿絵:エル・グレコ「悔悛するマグダラのマリア」

イエスの磔刑を見届けた女たち

「また、そこには遠くの方から見ている女たちも多くいた。彼らはイエスに仕えて、ガリラヤから従ってきた人たちであった。

その中には、マグダラのマリア、ヤコブとヨセフとの母マリア、またゼベダイの子たちの母がいた。」

<マタイによる福音書27章55-56節>

イエスの墓へ参ったマリアたち

「さて、安息日が終って、週の初めの日の明け方に、マグダラのマリアとほかのマリアとが、墓を見にきた。」

(イエスの復活を知って)「そこで女たちは恐れながらも大喜びで、急いで墓を立ち去り、弟子たちに知らせるために走って行った。」

<マタイによる福音書28章1節, 8節>

ノリ・メ・タンゲレ 我にふれるな

なお、イエスの復活に立ち会ったマグダラのマリアについてはヨハネによる福音書にも有名な記述があり、この場面を象徴する「ノリ・メ・タンゲレ 我にふれるな」は、西洋絵画において頻繁に取り上げられる代表的な主題となっている。

ノリ・メ・タンゲレ 我にふれるな

悪いイメージは一体どこから?

以上が、聖書において「マグダラのマリア」を明示的に名指しした記述の主な抜粋である。

ここまでをまとめると、「マグダラのマリア」の人物像とは、イエスに悪霊を取り払ってもらい、イエスの磔(はりつけ)に立ち会い、復活したイエスに最初に出会った女性ということになる。

この時点では、非難されるような悪女的な要素はどこにも見当たらない。むしろ他の登場人物よりも優遇されているようにすら見える。

右挿絵:ニコラス・レグニールの描くマグダラのマリア

ルカによる福音書「罪深い女」より

では、「悔い改めた罪深き女」という悪いイメージは一体どこから生み出されてきたものなのだろうか?

それは、「ルカによる福音書」に登場する「罪深い女」の記述が元凶となっている。該当部分を見てみよう。

「この町に一人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席に着いておられるのを知り、香油の入った石膏の壺を持ってきて、後ろからイエスの足もとに近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。」

<ルカによる福音書7章37-38節より>

罪深き女と同一視されるマグダラのマリア

この「罪深い女」に近い内容の女性としては、さらに「ベタニアのマリア(マルタの妹)」という人物も「ヨハネによる福音書」に記述されているのだが、かつてのカトリック教会では、何らかの思惑により、これらの「罪深い女」が「マグダラのマリア」と同一視されていた。

さらには、エルサレム巡礼を経て改心し砂漠の洞窟で一人苦行した「エジプトのマリア」とも同一視され、「マグダラのマリア」は「遊女あがりの罪深い女」というイメージが定着していったようだ。

悪女のイメージはさらに膨らみ、13世紀に記されたキリスト教の聖人伝集「黄金伝説」では、マグダラのマリアは金持ちの娘で、その美貌と富ゆえに快楽に溺れ、後にイエスに出会い悔悛したとまで尾ヒレがつけられている。

なお、今日のカトリック教会では、バチカン公会議を受けて1969年にマグダラのマリアを「罪深い女」から区別する旨が明確にされており、その地位は見直されている。

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