最後の晩餐 レオナルド・ダ・ヴィンチ

幾度の危機を乗り越えた奇跡の壁画

『最後の晩餐』(さいごのばんさん)は、ルネサンス期イタリアの巨匠レオナルド・ダ・ヴィンチによる1498年完成の絵画。サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会とドメニコ会修道院の食堂の壁画として作成された。

描かれているのは、キリスト教の聖書に登場するイエス・キリストの最後の日に登場する最後の晩餐の情景。ヨハネによる福音書13章21節より、キリストが12弟子の中の一人が私を裏切る、と予言した場面。

ほとんどの作品が未完とも言われるダヴィンチの絵画の中で、数少ない完成した作品の一つであるが、最も損傷が激しい絵画としても知られている。

劣悪な環境にさらされた名画

ダヴィンチ「最後の晩餐」があるサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会

ダヴィンチ「最後の晩餐」が描かれた当時から、この部屋は食堂として使用されていた。食べ物の湿気、湯気などが、まず始めにこの絵を浸食する原因となった。

出入り口で大きくカット

17世紀には絵の下部中央部分に出入り用の扉がもうけられ、その部分は完全に失われてしまった。

馬小屋として使用される

17世紀末のナポレオンの時代には、食堂ではなく馬小屋として使用され、動物の呼気、排泄物によるガスなどで浸食がさらに進んだ。

さらにこの間、ミラノは2度大洪水に見舞われており、壁画全体がその都度水浸しとなった。

空爆で破壊される食堂

1943年8月、ファシスト政権ムッソリーニに対抗したアメリカ軍がミラノを空爆し、スカラ座を含むミラノ全体の約43%の建造物が全壊する。その際にこの食堂も破壊されたが、ダヴィンチ「最後の晩餐」の壁画がある壁は奇跡的に残った。

1977年から1999年にかけて大規模な修復作業が行われ、1980年、ダヴィンチ「最後の晩餐」を所蔵する教会とともにユネスコの世界遺産 (文化遺産) 登録された。その後は複数の扉によって外気との接触を減らし、観光も人数制限などして保存活動がされている。

マグダラのマリア? V字空間の意味は?

2003年に出版されたダン・ブラウンの長編推理小説「ダ・ヴィンチ・コード The Da Vinci Code」、およびトム・ハンクス主演による映画化作品により、ミステリーや謎解き的な観点から世界的な注目を集めたダヴィンチの絵画「最後の晩餐」。

(以降、小説・映画のストーリーのネタバレを含むので未読の方は注意されたし)

上の画像は、ダヴィンチ「最後の晩餐」画面中央の拡大図だが、「ダ・ヴィンチ・コード」のストーリーにおける解釈では、イエスに向かって左側の人物は「マグダラのマリア」(女性)であるとされている。

そして「ダ・ヴィンチ・コード」では、「最後の晩餐」で二人の間にあるV字型の空間は、イエスの血を受けた「聖杯」(=マリアの子宮)を暗示し、マグダラのマリアはイエスの子供を身ごもっていたとする非常にセンセーショナルな解釈が展開された。

あくまでもフィクション小説だが・・・

言うまでもなく、「ダ・ヴィンチ・コード」はあくまでもフィクション小説であり、一部の事実に基づいて話を大きくふくらませ飛躍させた架空の物語として読むべきだろう。

ただ、その解釈の内容はともかくとして、このダヴィンチ「最後の晩餐」には、そう解釈してもある程度もっともらしい説明ができてしまう余地が存在することは事実であり、構図や描写においてミステリー的な解釈を許すだけの違和感や不自然さが、後世の「ダ・ヴィンチ・コード」をはじめとする数々の大胆な解釈を生み出したといえよう。

マグダラのマリアとは?

マグダラのマリア「ダ・ヴィンチ・コード」が主張する「マグダラのマリア」とは、イエスによって悪霊を追い出してもらい、以後イエスに従って旅をした女性。「マリヤ・マグダレナ」とも表記される。

マグダラのマリアはイエスが磔(はりつけ)の刑を受けるときも立ち会い、復活後には一番最初にイエスから言葉を受けた人物とされている。

以前はカトリック教会を中心に、聖書上の「罪深い女」やベタニアのマリア、エジプトのマリアなどと同一視されて、「娼婦上がりの罪深い女がキリストに許され愛された」という悪いイメージが定着。西洋絵画ではこの解釈・固定観念に基づいた作品が数多く残された。

【関連ページ】 エル・グレコ「悔悛するマグダラのマリア」

イエスの愛しておられた弟子とは?

ダヴィンチ「最後の晩餐」とマグダラのマリアを結び付けて解釈する一つの拠り所を求めるとすれば、それはヨハネによる福音書13章にある「イエスの愛しておられた弟子」という記述が指摘されるだろう。その部分を次のとおり引用する(23節から26節・新共同訳)。

「イエスのすぐ隣には、弟子たちの一人で、イエスの愛しておられた者が食事の席に着いていた。 シモン・ペトロはこの弟子に、だれについて言っておられるのかと尋ねるように合図した。

その弟子が、イエスの胸もとに寄りかかったまま、『主よ、それはだれのことですか』と言うと、 イエスは『わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ』と答えられた。

それから、パン切れを浸して取り、イスカリオテのシモンの子ユダにお与えになった。」

この「イエスの愛しておられた弟子」とは、伝統的には「使徒ヨハネ」と理解されている。だが異論もあり、この人物を「マグダラのマリア」と説明しようとする考え方があるようだ。

異説では、「愛」という言葉を性的・肉体的な愛(エロス、エロース)と解釈しているのかどうかは不明だが、言うまでもなくこの「イエスの愛」は神の無償の愛(アガペー)を示すものだろう。

右挿絵:マグダラのマリア(レーニ作)

アンドレア・デル・カスターニョ「最後の晩餐」

ダヴィンチの作品に限らず、「最後の晩餐」を主題とした宗教画はいくつかその存在が確認されている。参考までに、15世紀半ばに活躍したイタリアの画家アンドレア・デル・カスターニョ(Andrea del Castagno/1421-1457)による「最後の晩餐」をご紹介して、本稿を締めくくりたい。

カスターニョ「最後の晩餐」(1447年)は、フィレンツェのサンタポッローニア修道院(Convent of Santa Apollonia)の食堂(大理石の壁)に描かれたフレスコ画(453 × 975 cm)。一人だけ手前にいるのは裏切り者ユダ。注目すべきは、イエスの隣で居眠りをしている使徒ヨハネ。

ダヴィンチ「最後の晩餐」より半世紀前のイタリア・フィレンツェで完成されたカスターニョ「最後の晩餐」で描かれた使徒ヨハネは、ダヴィンチ作品と同じくイエスと反対方向へ身を反らせ、女性ともとれる美男子の姿で描かれている。

はっきりとしたV時ではないが、カスターニョの作品にもイエスと使徒ヨハネの間に大きく空間が設けられている。使徒ヨハネが女性的に描かれ、かつイエスとの間にスペースが配置されるという描写は、既にダヴィンチ「最後の晩餐」より半世紀前に存在していたのである。

これがのちにダヴィンチ「最後の晩餐」でV字状の境界線が強調され、(ダヴィンチの本来の意図は不明だが)新たなメッセージと解釈の余地が生まれ、想像力豊かな小説「ダ・ヴィンチ・コード」の謎解きミステリーにつながっていったのだろう。と、勝手に解釈しているが、みなさんはいかがお考えだろうか?

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『最後の晩餐』、『モナ・リザ』などの絵画のみならず、彫刻、建築、数学天文学など様々な分野で研究を残した万能の天才。
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