岩窟の聖母 レオナルド・ダ・ヴィンチ
同じ図柄の作品が織りなすミステリー 謎多きダヴィンチの宗教画
レオナルド・ダ・ヴィンチによるルネサンス期の宗教画「岩窟の聖母」(がんくつのせいぼ)では、岩窟で腰を下ろす聖母子、大天使ガブリエル(またはウリエル)、そして洗礼者ヨハネの姿が描かれている。
パリ版(ルーヴル美術館)とロンドン版(ナショナル・ギャラリー)というほぼ同じ構図・図柄の絵が二つ存在し、最初にパリ版が描かれたとされる(異説あり)。
一説によれば、パリ版「岩窟の聖母」完成後に代金の支払いで注文主と裁判沙汰となり、パリ版は他の買い手に売り払われてしまったという。後にダヴィンチの弟子に同じ図柄の作品を描かせたものが裁判後に本来の注文主に納められ、今日のロンドン版となっているようだ。
パリ版「岩窟の聖母」 1483-86 油彩・板 ルーヴル美術館
まず、先に描かれたとされるパリ版を見てみると、多くの聖母子画に見られるように、幼子イエス・キリストと洗礼者ヨハネが赤子の姿で描かれている。右端の女性は大天使ガブリエル(またはウリエル)。
どちらがイエスでどちらがヨハネ?
他の聖母子画では、ヨハネを描く際に決まった持ち物として「葦の十字架」と「羊の衣」というアトリビュート(attribute)が配され、一目見ただけでそれを持っている人物がヨハネであるということが即座に判断できる(参照:ラファエロの聖母子画「ベルヴェデーレの聖母」)。
例えば、ダヴィンチが仕えたヴェロッキオ工房による絵画「イエスの洗礼」(1472-1475)を見ると、右側の人物が洗礼者ヨハネで、細長い十字架に羊の衣をまとっており、左側のイエス・キリストに洗礼を施す場面が描かれている。どちらがヨハネかは一目瞭然だ。
しかしパリ版「岩窟の聖母」では、この二人が幼子イエス・キリストと洗礼者ヨハネであることは間違いないが、そのどちらがイエスでどちらがヨハネかについて明確なアトリビュートが示されていない。
ではどうやって判断するのか?
人物を示す持ち物がない以上、あとは仕草や位置関係などから類推して判断していく必要がある。まず、向かって左側の幼子についてみると、聖母マリアが左側に顔を傾け、直接手を触れて背中を庇うように守る様子が見られる。その幼子は両手を合わせ、右側の人物に向かってイエス・キリストの洗礼の場面によく似たポーズを取っている。
そして、右側の赤子は、左側の幼子よりも頭の位置が低く描かれ、聖母マリアの手が届かない遠い位置で、左の幼子を右手で指さしている。
ダヴィンチ作「洗礼者聖ヨハネ」 1513-1516 油彩・板 ルーヴル美術館
右手で指を指すポーズといえば、洗礼者ヨハネを描いたダヴィンチの他の絵画で、ヨハネは右手で天を指さし、時に左手で地を指して、天からの救世主キリストの到来を告げる場面を描いた作品が思い出される。
左側がイエス・キリスト?
人物の位置関係や仕草から判断するに、パリ版「岩窟の聖母」では、左側の幼子がイエス・キリスト、右側が洗礼者ヨハネと考えるのが自然なようにも見える。
しかし、ナショナル・ギャラリー所蔵のロンドン版「岩窟の聖母」では、この結論が真逆にくつがえってしまう。それは実際の絵を見れば一目瞭然だが、左側の幼子が細長い十字架を携え、腰には羊の衣が巻かれている。
ロンドン版「岩窟の聖母」 1495-1508 油彩・板 ナショナル・ギャラリー所蔵
細長い十字架と衣と言えば、洗礼者ヨハネを表す伝統的なアトリビュートであり、それを身に着けているということは、その人物は洗礼者ヨハネということになる。
後世に書き加えられた?
実はこのロンドン版「岩窟の聖母」は、最初はパリ版と同じく、二人の赤子のどちらがイエス・キリストでどちらがヨハネであるかについて、明確なアトリビュートは付されていなかったという。
それが後世になって、他の画家らにより、頭上の天使の輪やヨハネのアトリビュートが書き加えられたと考えられているようだ。加筆の際、故意か過失かは現在では確かめようがないが、左側の幼子がヨハネと解釈されて、ヨハネ特有の持ち物を配された結果、図像学(イコノグラフィー)的に違和感の残る作品となってしまったというわけだ。
ちなみに、推理小説「ダ・ヴィンチ・コード」(The Da Vinci Code)では、左側の幼子をイエスと解釈したうえで、イエスが洗礼者ヨハネを拝んでいることが教会の怒りを買ったとの場面が登場する。先にも説明したように、両手を合わせるのは洗礼の儀式として取られたポーズだと考えるのが自然なように思われるが、みなさんはどうお考えだろうか?